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親族だって、ちゃんと礼儀って大事だよな — 『菊と刀』読んで思ったこと

親族だって、ちゃんと礼儀って大事だよな — 『菊と刀』読んで思ったこと

児玉利文|
昨日、sfiDARE CRIT Vol25の打ち合わせに行ってきた。久しぶりに新幹線乗ったから本を読んでたんだけど、日本が「超ウルトラギブアンドテイクな社会」だと言う、ルース・ベネディクトっていうアメリカの人が書いた『菊と刀』って本、読んだんだけどさ。これが面白いんだ。

戦後の日本人を外から見て、「恩」と「義理」ってもので人間関係が成り立ってるって、すごく丁寧に書いてある。

俺みたいな、家族のことをあれこれ考えてしまう人間には、妙に刺さるんだ。

日本じゃ、親から子へ与えられる「恩」ってのは、一生かかっても返しきれないんだって。

親孝行って、ただの優しさじゃなくて、義務みたいなもの。

で、ちょっと離れた親戚になると「義理」が入ってくる。

形式ばった挨拶とか、贈り物とか、冠婚葬祭での振る舞いとか。

あれって、ただの面倒くさいルールじゃなくて、関係をちゃんと保つための仕組みなんだなって、改めて気づく。

昔、俺の実家の方の親戚で、久しぶりに顔を合わせたときがあったよ。

みんな「まあまあ、元気か」みたいな感じで始まるんだけど、そこで言葉遣いがちょっと雑だったり、相手の都合を考えない話の振り方だったりすると、なんか空気がぴりっとする。

血がつながってるから甘えていい、って思っちゃう瞬間があるんだけど、実は逆で、親族だからこそ、ちゃんと「礼儀」って鎧を着ておかないと、傷つけ合っちゃうんだよね。

ベネディクトは日本を「恥の文化」って言ってた。他人の目とか、世間体を気にするってやつ。親戚の前で「義理知らず」って思われたくないから、みんな自然と丁寧になる。

でも今は核家族ばっかりで、親戚付き合いも薄れてきたから、つい「もういいか」って手を抜いちゃう。わかるよ、面倒くさいもん。俺だって、疲れてる日は誰にも会いたくない日もある。

でもさ、考えてみると、礼儀ってのは「距離」を上手に保つための優しさでもあるんだと思う。親族だからってベタベタに踏み込みすぎず、かといって他人行儀にもならず、ちょうどいい間合いを取る。菊みたいに美しく、刀みたいにピンと張った感じで。

オカンや親戚のおばちゃんたちが、昔からやってたお中元とかお歳暮、年始の挨拶。あれ、全部無駄じゃなかったんだなって、今になって思う。

形式だって、続けていくうちに本物の気持ちになっていくんだよ。

親族であろうが、親であろうが、ちゃんと「ありがとう」とか「すみません」とか、季節の挨拶とか、気遣いのひとつも忘れずにいたいね。面倒くさがらずにさ。

だって、結局、人間関係って、放っておくと自然にすり減っていくものなんだから。

ちょっとした礼儀が、意外とそのすり減りを防いでくれるのかもしれないね。

たまには、昔みたいに、みんなでゆっくり話してみるのもいいかもしれないな。

今日はちょっと思うところあって、違うことを書いてみたよ。

じゃあな、また明日。


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