こんにちは。メンタル鬼畜TOSHIです。
ちょっと気になったことなんだけど聞いてくれよ。
競輪を引退してだいぶ経つ。
競輪の世界から少し離れてみると、妙にいろいろが見えてくるもんだね。
昨日、久しぶりにkeirin.jpのページを覗いたら、選手のコメントに目が止まった。
「外人選手はいない方が走りやすいけど…」
まあ、正式には「外国人選手」と書いてある。
でも競輪界じゃ今でも、選手同士の間では普通に「外人」って言葉が出る。
俺が現役の頃もそうだった。
悪気はないんだ。ただの習慣みたいなもん。
でも離れてみると、その言葉がなんだか古びて見えて、業界の空気みたいなものが、じんわり浮かび上がってくる。
昔、『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』って映画を見たよ。アメリカから来たガキが日本のドリフト界に紛れ込んで、ドリフトキングに「Gaijin」って言われるシーン。
「Cause I'm a gaijin? An outsider?」というセリフを聞いて、
なんか腑に落ちたんだ。
「ああ、日本ってまだそんな感じなんだな」って。
で、最近は英語の先生にも妙なことを教わった。
「Where are you from? は、なるべく聞かない方がいいですよ」って。
理由を聞いて、なるほどと思った。向こうの国、特に移民が多いところでは、その質問が「あなたはここの人間じゃないよね?」って響くことがあるらしい。見た目で線を引いちゃう感じが、相手を疲れさせるんだと。
日本にいると「外人さん、どこから?」なんて、ただの挨拶みたいなもんだけどね。立場が変われば景色も変わる。
一番、胸に刺さったのは、自分自身のことだ。
あなたも日本から出れば、向こうではGAIJINなんだよ。
簡単なことだ。俺たちが「外人」って言葉を他人に投げてきたように、自分が海を越えれば、向こうの人から見れば俺がよそ者になる。当たり前のことなのに、国内にいると忘れがちなんだよな。
競輪も少しずつ変わってきてる。今年は久しぶりに海外の強い選手が来てるし、若い子たちは「海外選手」って自然に言うようになってきた。
でも言葉の奥にある意識ってのは、なかなか変わらない。
居心地がいい閉じた世界は、守るのは楽だけど、外に出たときに自分も同じ目で見られるってことを、ふと思い出す。
俺は競輪が好きだよ。今でもあの世界を愛してるからこそ、こんなことを思うのかもしれない。
「外人」っていう言葉が、いつの日かただの古い言い回しになって、みんなが少しだけ肩の力を抜いて付き合えるようになったらいいな。
引退して気づいた、ちっぽけなこと。
外に出てみれば、自分もガイジンなんだってこと。
まあ、そんな感じです。
皆さんはどう思いますか?